Japanese / English
1970年に大阪で活動を開始。
活動拠点である大阪のジャンジャン町に由来する「ヂャンヂャン☆オペラ」と名づけられた維新派の表現スタイルは、1991年東京・汐留の「少年街」より確立した。
オペラと呼ばれる所以には、独特の発語スタイルにある。 維新派の作品は会話によって語られることは少なく、セリフのほとんどを単語に解体し、5拍子や7拍子のリズムに乗せて大阪弁で語られる。クラシック音楽やポップミュージックによく見られる4拍子や8拍子ではなく、5拍子や7拍子といった変拍子を用いるのは大阪弁を最も良く伝える方法だと考えるからである。
バリ島のケチャに似ていることから、しばしばそれは「大阪弁ケチャ」と評される。また、大阪弁だけでなく、紀州弁、琉球語など日本各地の方言から、果てはロシア語、中国語、スペイン語なども取り込み、維新派だけの混成言語を作り上げる。 発語スタイルだけではなく、踊りについても独特で、その動きはどのジャンルのダンスにも属さない。変拍子のリズムによる動きは、一見すると制限された、単一なものに見えるかもしれないが、30人以上の役者による同時多発的動きは巨大なからくりのように緻密で、その壮大さと精緻さは天体の動きと似ており、それゆえ舞台上に星々が動くような宇宙的広がりを見せる。
また、パフォーマーの基本姿勢に、日本の伝統芸能に見られる“中腰”を使い、日本人/私たちの身体性を生かした新しい身体表現を常に追求している。 演劇というジャンルにカテゴライズされながらも、その巨大でリアルな舞台セットを含めた映画的手法も維新派のキーワードとなる。ロードムービーの手法を取り入れたり、シーンによっては映画のアップ映像のような演出を行うことで、観客はまるで映画を見ているような感覚を味わうこともできる。
創設以来、さまざまな場所で公演を行いながら、「移民」や「漂流」をキーワードに、一貫してオリジナル作品を上演している。それは自分たちの表現に拘泥せず、めまぐるしく変化し続ける時代に即した、方法・内容を追求し続けている姿勢の現れである。
維新派の最も大きな特徴として、巨大な野外劇場を建設することが挙げられる。この作業は、役者、スタッフの総勢50名ほどが50日〜60日を費やして自分たちの手で行う。 何もない全くの更地の状態から、舞台、客席、宿泊場所までを作り、上演時はカーニバルの異空間を作り上げる。公演後は釘一本残さず、再び更地に戻すという徹底ぶりは、架空性への強いこだわりでもある。 劇場に隣接する<飯場>では、多いときには100名の食事が作られることもある。野外劇場での公演を行ってきたのは、野外でしか成立し得ない“一回性の劇場”にこだわってきたからである。 これまで、和歌山県・熊野本宮大社跡(「麦藁少年」)、岡山県・犬島銅精錬所跡地(「カンカラ」「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」)、幾つもの公演を重ねた大阪・南港(「キートン」「南風」他)、滋賀県・長浜市の<びわ湖水上舞台>(「呼吸機械」)などで公演を行ってきた。 その場所でしかできない、その場所を生かした表現を常に考えることで、背景は維新派にとって単なる<借景>ではなく、舞台の一部となる。