松本 雄吉(Yukichi Matsumoto)
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アマハラ 劇場写真
9月15日 現場入り1日目 「アマハラ」公演地となる平城宮跡・東区朝堂院 一面に草原が広がる。
図面に従ってロープで劇場の基準となるラインを決めていく。劇場作りのスタート。
劇場を設営する為のスペースを作るために、一面に生い茂る草を刈っていく。
オリジナルの地鎮祭が行われる。役者、スタッフが公演の無事を祈願する。
建築資材が組まれ、舞台の土台が作られていく。
われらがボス・松本雄吉。
9月16日 現場入り2日目 搬入された大量の資材を運ぶ。重い資材を持って広い敷地内をひたすら往復する。
9月17日 アトリエで積み込んだセットや小道具類が到着する。大阪で残って作業をしていた役者達も合流し現場も賑やかになる。
劇場に使用される床板は一枚一枚長さが違うため、長さをそろえるための臨時の板切り場が作られる。
休憩中。
平城宮跡は過去に田んぼだった事もあり、雨が降ると地面がかなりぬかるむ。フォークリフトはタイヤがスタックして思うように使用できないまま、放置するほかなかった。
史跡内には私鉄が通っていて、車窓からは設営の様子が望めただろう。
稽古ができるだけ早く行えるように、舞台を最優先にして設営していく。作業3日目で床面の基礎が出来上がる。
9月18日 舞台床に使用された板の切れ端。この板も舞台の土台や水平レベルの調整に使用された。
野外作業では雨の影響を受ける。舞台に雨除けのテントを置き、電動工具を使った作業を進めていく。
舞台奥に広がる草原。穂の出る前のススキが青々と繁っている。
9月19日 平城宮跡の地面は柔らかく、資材を組んだ後に重さで沈み、レベルが変わる場所も出てくる。道具スタッフは僅かなズレをチェックして調整していく。
現地入りして4日経ち、舞台の床が出来上がる。初めて現場稽古が行われる。
役者達が台本を手に、稽古場での違いを確認しながら稽古が進められる。
最前列から稽古をチェックする舞台監督の大田氏(写真左)と美術の白藤氏(写真右)。
「アマハラ」公演では主宰・松本の代わりに役者で「演出部」が結成された。マイクを手に取り演出の指示を出すのは演出部の森氏。その隣には演出部をまとめる平野氏が座る。
初めての現場稽古は夜中まで行われた。
稽古の終わりに反省点や今後の課題が話し合われた。
9月19日 台風が近づいているので、午前中の資材の荷下ろしだけで、午後の作業は中止となる。
台風の中、手伝いに来てくれたスタッフのありがたい差し入れ。
9月21日 客席の設営が進められる。ゲスト出演者も加わって早いペースで組み上がっていく。
午前中に設営を進め、午後から総見(スタッフ向けの通し稽古)が行われる。
振り付けや立ち位置の確認を行い、総見に備える。
客席には演出部の他、照明、音響、道具スタッフ達が座り、技術的なプランや問題点を出し合う。
お客さんの入り口に飾られる灯篭のデザインが話し合われる。
灯篭は大量に必要なため、デザインが決まるとその日の内に製作が始まった。
9月22日 劇場はパイプ状の資材を組み合わせて、数十センチの床面から数メートルの高さの客席を作っていく。
役者達は作業を終えるとすぐに、稽古に向けて、気持ちを切り替える。
連日のように夜中まで稽古が続く。稽古が出来る時間が限られているため、雨の中でも行う。
9月23日 舞台の左右に照明用のタワーが組まれる。高所での作業もベテランスタッフを先頭に進められていく。
夕陽に合わせて上演されるため、稽古もその時間に行われた。生駒山に沈む夕日を背景にして、冒頭のシーンが作られていく。
ラストシーンの台本が出来上がり、読み合わせが行われる。
音楽監督の内橋とラストシーンの曲に向けて、読み合わせが続く。
9月25日 舞台にスライド式の床が作られる。
9月26日 美術セットが取り付けられる。一つ一つがかなり重く、数人がかりで持ち上げていく。
平城宮跡に今回の劇場の姿が現れてくる。
9月27日 毎朝、作業開始前には朝礼が行われている。その日の作業内容はもちろん、事故や怪我を防ぐために、様々な伝達事項が共有される。
客席の左右にそびえるタワーで打ち合わせをするスタッフ。数日後には音響、照明の機材の搬入が始まり、ここに設置されていく。
9月28日 まずは、音響チームが現場入りし、機材の搬入が行われる。
9月29日 早朝から重い雨雲が広がる。野外作業では天候の影響を受けるため、スタッフは常に最新の天気予報をチェックし、雨対策を怠らない。
雨が降ると地面のコンディションが悪化する。トラックの搬入導線にはぬかるみ対策用にシートが轢かれている。
維新派公演名物の屋台村の設営が始まる。丸太を組んで屋台の骨組みを作っていく。
9月30日 小道具のトランクを作る役者の石原氏。
10月1日 劇中に登場する巨大セットの製作が進む。道具チームが丸太を垂直に、水平に組みあげていく。
巨大セットは道具スタッフ数人が人力で動かす。
屋台の骨組みが出来上がっていく。今回の屋台村は、円形に並ぶレイアウトになっている。
作業後に行われた夜稽古。冒頭のシーンについて、役者達がアイデアを出し合う。
冒頭のシーンは5つの部分から成り、合計で30分の長さになっている。主宰・松本の演出ノートを頼りに、演出部が台本と演出を考案した。
10月2日 通し稽古(最初から最後まで止めずに行う稽古)では小道具類も使って、全体の動きが確認された。
10月4日 照明プランに基づいて、灯体の向きや明るさを決めていく、明かり作り。 この作業は陽が落ちてから夜中まで連日にわたって行われる。
照明プランナーの吉本氏。全10シーンの明かりを、役者の立ち位置を確認し、照明機器を調整しながら一つ一つ緻密に作り込んでいく。
10月5日 屋台村ディレクターの山本氏(左)と舞台監督の大田氏(右)。屋台村の進行具合を確認。
撮影用ドローンを操る立川氏は、平城宮跡での設営が始まる以前の、稽古場や打ち合わせの段階から製作過程を記録している。
秋の公演は台風シーズンとも重なる。接近している台風の影響で、この日の作業は早めに切り上げられた。
10月6日 台風一過の青空が広がる中で、舞台の塗装が行われる。
屋台村設営に使用される木材。この木材はスタッフの縁で手配できた。
屋台村の屋根に使うトラックシート、屋台村の店主達で広げていく。
客席ではスタッフ間でも、演出の問題点や課題を話し合う。
通し稽古を終え、”一つ一つのシーンが長い”、”上演時間が2時間を超えている”、”全体的にお客さんの集中力を持たせる作りが出来ていない”といった課題が浮かび上がる。
10月7日 休憩所のテントに張られたスケジュール表。役者達は一日の大半を稽古に費やす。
通し稽古から見えた課題について話し合う平野氏と大田氏。エンディングの構成が問題となっていた。
打ち合わせ中の平野氏と照明の吉本氏。照明プランの他に作品内容についても意見を出し合う。
屋台村に積まれた、お客さんの導線を灯す灯篭。スタッフと屋台村の店主達の手による灯篭もようやく完成が見えてきた。
「場当たり」と呼ばれる、照明、音響、大道具の動きや位置を確認する稽古が行われる。舞台袖にはスタッフが待機し、異常や問題がないかチェック。
10月9日 劇場と屋台村の境界部分に壁が作られる。当初の案では扉がなかったが、スタッフの案で店舗に使う予定だった扉が使用された。
屋台村にも電気が引かれ明かりが灯る。
10月10日 屋台村内の物販ブース。パンフレットや関連グッズ製作で大忙しだった物販チームがようやく現地で作業を行う。
維新派が初めて海外で公演した当時の写真。
長い間、維新派に携わる大田氏が、当時の様子を話してくれた。
主宰・松本の祭壇の完成予想図。白い木のフレームのデザインは過去作「十五少年探偵団 ドガジャガドンドン」の美術より。
祭壇製作を行うのは、元役者&初期の屋台村ディレクターの玉置氏(写真左)と、元プロデューサーの高岡氏(写真右)。
完成間近。
10月11日 お客さんの通路の脇に灯篭を設置する。公演期間中はこの灯篭が暗くなった道を照らす。
屋台村の内装作業が進み、店主達の個性的なお店が出来上がっていく。
稽古で見えた課題や翌日の予定が、毎日の最後のミーティングで伝達される。
10月12日 ポスターを元にして「アマハラ」の看板が描かれる。
オープンを目前に控えた屋台村。にぎやかなことが好きな店主達が集合し、運営ルールを決めていく。
屋台村オリジナルデザインの前掛け。これが初の屋台村グッズ。
10月13日 公開ゲネプロ。午前中に大掃除をして、会場全体をお客さんを迎える準備をしていく。
客席横に設けられた音楽監督・内橋氏の演奏ブースでは、本番前のチューニング中。
屋台村でパフォーマンスを行う、クロワッサンサーカスの団長・清水氏。ここ数年の野外公演では屋台村でパフォーマンスを行っており、お客さんを大いに楽しませている。
屋台村ではオープン前のミーティングが行われる。
屋台村ディレクターで村長の愛称で呼ばれている山本氏が運営ルールの確認を行い、連絡事項を皆に伝える。
音楽監督の内橋氏も雑貨屋を出店している。ごくごく自然に営業をしているため、内橋氏と気が付かないお客さんも多く、屋台村の知る人ぞ知るお店。
会場に訪れたお客さんは、松本が出演者だった頃からの写真を興味深く見つめていた。
ゲネプロは多くのメディアや関係者が来場し、大きな事故やトラブルもなく無事に終了した。
10月14日 初日開演前の舞台稽古。演出部の平野氏が客席に座り、台詞の言い方や振付に演出を加える。
屋台に飾られていたこの人形は2008年公演「呼吸機械」で使用されたもの。屋台の店主が引き取り大事に保管していた。
物販コーナーではグッズが並べられ、開店の準備を進める。今年のグッズはメイキングドキュメントが掲載されたパンフレットや缶バッジといった定番から、升などの変わりダネまで並ぶ幅広い品揃えになった。
直前は、各店舗仕込みで忙しい。
開演前の屋台村はいつもにぎわう。
初日の幕が上がる。平城宮跡に現場入りしてから30日が経ち、様々な課題を乗り越えて今日を迎えた。
チケットは完売の満員御礼となり、大きな拍手の中で初日の公演を終えた。
終演後、明かりが灯った屋台村は料理の匂い、熱気、ライブの音であふれる。
終演後の屋台ではライブが行われる。観劇の後は屋台を楽しむのが維新派公演の王道。
10月15日 いつもように、開場前に役者とスタッフが舞台の掃除を行う。
終礼では「作品はまだ完成ではなく、日々稽古を繰り返し、より良い作品に仕上げていこう」とみんなで士気を高める。
屋台は1日だけ営業する店舗や、本番を終えた役者やスタッフが店舗に立つ姿も見られる。お客さんの中には屋台だけを目当てに毎日通った方もいた。
10月16日 屋台村で販売されていた維新派おなじみの白椅子。長い間、倉庫に残っていたものもキレイにされて、加工されていた。
2日目の開演前は、小雨がぱらつくが幸いにも直ぐに止む。 公演期間中は一日も雨に降られる事はなかった。
10月17日 会場入り口に設置された看板。この後ろには、ぬかるみの影響で使用できなかったフォークリフトが看板を支えており、思わぬところで役に立った。
屋台村内に設置された、のぼり。「日本維新派」は維新派の旗揚げ時の名前で、当時は、舞台上で役者がかなり過激な行為をしており、現在の維新派とはかなり異なる雰囲気だったそうだ。
開演が近づくと屋台村に残っているお客さんに向けて入場を促すアナウンスをする。
生駒山に沈む夕日をバックに、開演の幕があがる。
クロワッサンサーカスのパフォーマンスは日替わりで内容が変わり、毎日見ていても飽きない。
10月18日 初日が明けてからも連日行われる稽古。
屋台村では、紙芝居も行われている。すっかり常連となった子どもたちとの掛け合いに笑いが起こる。
10月19日 毎日の掃除やゴミの片付けも、大事な仕事。
終演後の余韻をそのままに屋台に足を運ぶと、沢山のお客さんで賑わうお祭り空間が目に飛び込んてくる。
この日の屋台村には、人懐っこいネコがやって来た。みんな親しみを込めて、主宰・松本の名前から「ユウキチ」と呼んでいた。
10月20日 舞台奥に広がる黄金の草原。本番中は、人が立ち入らないようにスタッフが見張り。
この日は音楽監督の内橋氏と、あふりらんぽ、akamar22!によるライブが行われた。主宰・松本の好きだった曲を、お客さんも一緒に歌う一幕も。
後ろ髪をひかれながら、灯篭の明かりの中を、お客さんは帰っていく。
10月21日 座席用のシートを用意する運営スタッフ。連日多くのお客さんを誘導し、定刻通りに開演できるように準備する。
物販ブースは売り切れ商品も出るほど大盛況で、期間中にたびたび追加発注も行った。
10月22日 毎日、お昼頃には当日券を求める列ができ始め、運営スタッフは状況に応じて、整理券配布などの対応をしていた。
音楽監督の内橋氏は終演後の物販ブースで、CDにサインをするサービスもしていて、お客さんの喜ぶ姿があった。
役者の金子氏が出店している「山口商店」。劇中でも登場したお店と衣装で営業中。小道具の白椅子も販売されたがすぐに売り切れとなったようだ。
10月23日 公演も残すところ残り2回となり、舞台監督の大田氏を中心に各スタッフが集まって撤収作業の打ち合わせが行われる。
舞台稽古前のミーティングの様子。
劇場と屋台村との間の壁には花が飾られ、オシャレなギャラリーへと姿を変えていた。
その壁には少しだけ隙間があり、期間中はチケットを購入出来なかったお客さんが覗き込んで舞台を見ている姿もあった。
上演中も、屋台村には多くのお客さんがいるため、作品に影響がないように看板を作った。
屋台村のライブには幾度も出演している「義理と人情 AZUMI&白崎映美」。歌いながら、維新派と屋台村へ感謝の気持ちも述べていた。
千秋楽前日の屋台では恒例の腕相撲大会が開かれ、大いに盛り上がる。今年は美術を担当した白藤氏が優勝を果たした。
物販ブースに置かれたオリジナルデザインのお酒の瓶。維新派ではお馴染みの台詞がラベルになっている。
10月24日 千秋楽。開演前の屋台村で公演に関わった全員に大入り袋が渡された。演出部をまとめ、役者として出演もしていた平野氏が一人一人に手渡していった。
大入りの最後には、主宰の松本に献杯を行った。
主宰・松本の祭壇にはお客さんからこんな物も供えられていた。
当日券を求めて数百人が並んでいた。
公演の成功と安全を祈して、全員で日本酒を飲む通称“お清め”は、毎日開演前に行われる。役者やスタッフ達は掛け声と共にお酒を一息で飲み干す。
ラストシーン。初日を迎えたのが昨日のことかと思うほど、あっという間に、千秋楽。無事に、最後のカーテンコールを終えた。
なり止まぬ拍手と、スタンディングオベーションの中、3回目のカーテンコールでスタッフも舞台に上がる。
終演後の屋台は今までにないほどお客さんで溢れる。「会場は明日で無くなりますが、思う存分楽しんで下さい!」と、ライブステージの挨拶に、大きな拍手と歓声が上がった。
「めいっぱい遊ぼう」という屋台村ディレクターの山本氏の言葉どおり、今年の屋台村パフォーマンスは劇団最後の公演を飾るにふさわしい、全力でおもろい事をやりきった。
公演期間中は天候に恵まれて開演時に雨が降らず、千秋楽は雲ひとつない美しい夕暮れとなった。
10月25日 撤収作業が始まり、照明、音響の機材も取り外され、搬出されていく。
屋台も、千秋楽の余韻から気持ちを切り替えて、店主達が解体作業を進める。
祭壇も解体されて一日で屋台村のほとんどが解体された。
10月26日 解体されていくライブステージ。手前には通路に飾られていた灯篭が並ぶ。
灯篭は、役者やスタッフそれぞれが、好みの形のモノを持ち帰った。
屋台村内に飾られていた、維新派展の看板も廃棄されることなく、貰われていった。
屋台村の店主達は全国各地から集まっているため、みんながそろうのは維新派のときだけ。「屋台のみんなは家族。一緒にいることを大事にしている」と語る店主たち。
劇場は解体されていき、なんだか裸になったようだ。
平城宮跡の側溝に溜まった泥を、キレイに水で流していく。
夕方には劇場の形がほとんどがなくなった。「公演後は釘一本残さずに立ち去る」という信念のもと、念入りに鉄くずやゴミを拾う。
出てきた大量のゴミを、隙間なくコンテナーに積んでいく。
10月28日 ぬかるんだ地面でも難なく作業をする油圧ショベル。操縦するのは元スタッフで、油圧ショベルの貸し出しに協力してくれた。
持ち帰る衣装や、小道具、資材類を積み込んでいく。役者達は翌日、大阪市内の倉庫で積み下ろしを行う。
10月29日 最終日 残るは2基のテントと多少の資材だけとなった。
劇場のあった場所が跡になって残る。
最後の最後までぬかるんだ地面に苦労させられる。
午後には資材とゴミの搬出を終え、最後のトラックが出ていくのを全員で見送る。
作業を終え、最後の終礼が行われる。
解散後は、時間の許す限り、劇場のあった場所を眺めていた。
松本がいない初めての公演もどうにかこうにか乗り切った。
2016年秋 奈良県・平城宮跡
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